百万石最強。


少々古い日記です。


先週学会で金沢にいってまいりました。


東京に生まれ育ってこのかたコンクリートジャングルをこよなく愛してきましたが。
今回はじめて国内のほかの街に対して嫉妬を覚えたというか、「住んでみたいな〜」と思わせてくれた街でした。


まわったところをいくつか紹介します。(携帯から写真取り出せないのでkabaoさんの撮ってくれたのを拝借)


夕暮れ時を狙っていってきました。

人通りも少ないし、ガス灯ちっくな照明が川面に映えて雰囲気満点。
鴨川力学が働くほどカップルもいないし。

hirax.net::鴨川カップルの謎::(1998.11.29)

特に主計町から路地裏に入ることをお勧めしたい。
古い家屋はもちろんのこと、新築であっても当時に忠実に再現してある。
しょーじき家主に対し嫉妬を感じるw
松涛の馬鹿でかいお屋敷よりこっちのほうがうらやましいもん。



ほとんど映画村。
当時の遊郭がかなりまとまって保存されている。しだれた柳と赤銅色の格子がたまらん。
遊郭が保存されているだけならまだ「がんばってるなぁ」で済むのだが、「自由軒」や「コールドパーマ」「乾物屋」「楽器商」「駄菓子や」まで戦前のままで残っているとなるとほとんど異常な世界である。もちろんポストも旧型のまま。


茶屋町の一部はギャラリーやカフェに改装されているのだが、「茶屋」としていまだに営業しているところも少なからずある。


夜中1時すぎ、一人でてくてく散歩してみたところ、目の前の茶屋前がなにやら騒がしい。


「先生ったらホント湯浅弁護士そっくりぃ〜」


どうやら弁護士か医者か県会議員の先生が芸姑さんにお見送りされている模様。もちろん深夜の茶屋町、観光客や通行人は一切おらず、いるのは先生待ちの車だけ。完全に闖入者となってしまったわけだが貴重なものを見れた。芸姑さんのばりばりの標準語にはずっこけたけど。
やはり男なら死ぬまでに一度、奥座敷で豪遊してみたいもんです(爆)

  • 忍者寺


三代利常公が公儀隠密対策と金沢城の出城を兼ねて建立したらしい。
見た目は寺だが、中身は物見やぐらつき仕掛け満載の要塞だそうな。
どんなにシブいところかと思って行ってみて拍子抜け。


「いらっしゃいませ〜ご予約の方ですか?」


ふつーに制服姿のおねーさんが受付やってた。
ちなみに受付だけかと思ってたらガイドさんも兼ねてた。あなどれない。


ツアー前のアナウンスで「忍者寺と呼ばれておりますが忍者とは一切関係ございません」としっかり前置き。


でも、これはスゴい。
この寺の設計をした人は偏執狂かほんまもんのサディストだと思う。「切腹の間」とか常人じゃ考え付きません。


百万石になるためには多分これくらいの根性が必要なんでしょう。


  • 21世紀美術館


作品自体がすごいっていうより、特定の作品を展示することを前提として美術館が設計されている点に頭が下がる。



「タレルの部屋」は最高。天井にあいた正方形の窓?から一日雲を見てぽけーとしてられる。ちなみにガラスはまってません。あと「スイミングプール」もいい。上から覗く人と下から見上げる人との間で手をふりふり微妙な交流が生まれる。


無料で利用できるスペースにも、最新型の油圧エレベータとかムチャクチャきれいな芝生とか、楽しめるスポットがいっぱい。公共空間の鑑ですな。


兼六園はたしかに日本三大名園と言われるだけある、人智と自然の融合した見事さだった。まぁでも人が多すぎて、またーり浸れることもなく…。理系心をくすぐるのは園内に存在する日本最古の噴水。



19世紀に作られたというんだから驚きである。もちろんモノ自体は古代ギリシャから存在するものだが、日本庭園の精神と対極にある噴水を敢えて取り込む試みが江戸期にすでに行われていたのにはびっくり。


ちなみにもういっちょ理系的にきたのが辰巳用水。


犀川上流で取水される兼六園の水源となる水道であるが、金沢城内にも導水されている。そのとき問題となったのが兼六園金沢城の間に位置する深い堀。これを解決するために逆サイフォンが用いられている。すげえ。


金沢城の横、香林坊にあるのが尾山神社



写真は神社の山門。
光っているのは最上階にはめられたギヤマン。昔は灯台かわりにもなったらしい。
明治初期の和洋折衷建築のひとつらしく、すごくへんちくりんなんだけどカッコいい。



とにかく街の規模もちょうどいいし、街角そこらで文化の香りというか華が感じられる。



一方で不思議なこともいっぱい。
独断と偏見に満ちた「ここがヘンだよ金沢市」。

  • 金沢駅東口地下空間が異常なほどだだっぴろい。たぶんサッカーがフルでできる。そしてひとっこひとりいない。
  • 西口からまっすぐ伸びる50M道路。三車線はほんとに必要なのかと問いたくなる交通量。小松の自衛隊機でも不時着させようというのか。駅から1Km歩いてもコンビニが見つからない空白地帯。
  • 主要道路には横断歩道が少なく、対岸にでるには地下道を使用。
  • そして地下道にはエレベーターでアクセス。これがバリアフリー…?
  • シアトルズやスタバがぼこぼこあるのに街中で牛丼屋が全く見つからない。金沢の酒飲みはシメに何を食べるのだろう。
  • 夜そうそうに閉まる居酒屋。夜型人間は生きていけないライフサイクル。
  • っていうかなんで街全体こんなに金回りが良さそうに見えるのだろう?やはり森大先生のお力なのか?


コマゴマかいたけどほんと不思議な街です。


江戸期には日本第四位の人口を誇った金沢であるが、幕末期に加賀藩はさしたる働きもしなかったことから、明治に入ってからその地位は低下の一途をたどった。旧四高など明治期の遺構は市中に多く存在するが、もしかつての加賀藩の財力をフル活用できてきたらこれどころじゃなかったに違いない。そう考えると明治以降の凋落っぷりが残念なわけだが・・・。


一方で、金沢にこれだけ多くの文化財が保存されている理由を考えるとこれで良かったとも思う。というのも明治以降の経済力の低下のために街の再開発は抑えられてきたからだ。市の中心部と金沢駅が離れていることもこれに貢献している。もういっこ、旧軍の大規模な駐留や、大きな軍事施設、軍需工場が存在しなかったことから空襲を免れたことも大きい。京都に並んで稀有な例である。


他の日本の都市が明治以降たどった道を考えると、現在の金沢になったのはわりと奇跡的なんじゃないかと思う。


僕の住んでいる街は根津・谷中・千駄木って、わりと東京の中でも下町情緒が残っているとされ、観光バスで乗り付けた団体さんがうろうろしているような地域なんだけど、金沢みたあとじゃ悲しくなってくるのがしょーじきなところ。


いろいろ書いたけど。
絶対もう一度行きたいし、できれば住んでみたい!
お金貯めて余生は主計町住まいとかね〜。